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「Color of Life」
繊細な詰めの段階の稽古場通しに取材が入り、
チケットぴあのサイトでご紹介いただきました。
シュート中の劇場にて、再び、皆様にこの公演へのお誘いをいたします。
はじめてご覧いただく方には、石丸さち子の作品の持つ、人間感情の追求と、視覚と心に
訴える美学を感じて頂けると思います。
初演でご覧いただいた方にも、新しい色を感じて頂けると思います。
作品を進化、深化させてきたとともに、
劇場の構造の要請で変更を施したこともいろいろ。
NYで創った時から、制約を逆手にとって育ってきた作品ですから、
博品館劇場にあわせて、今という上演時期にあわせて、
自由にトランスフォームしています。
自分で0から立ち上げた作品なので、
どうしても守るべきは何か、軽やかに捨ててよいものは何か、
よくわかっています。
公演間近になりました。
どうぞ、この公演をご覧ください。
石丸までご連絡ください。
人が人と出会う喜び、
人と人がすれ違う痛み、
人と人が愛し合うことの美しさ、
さまざまな記憶を揺さぶる感情を、味わって頂けると信じています。
今夜は、そういう夜らしい。
母の思い出をひとつ書いて寝よう。
お葬式で、母のお棺に折り紙を入れた。
幼年期に母に教わった最大の奇跡、最大の美学が、折り紙だった。
特に、鶴の基本から作る、百合と蟹の折り紙が大好きだった。
病院で泣いている子どもを見かけた母が、
広告紙でちゃちゃっと蟹を折ってみせたら、
見事に子供が泣き止んだ。喜んだ。
母、お見事だった。
皆で母を生花で飾る時に、大好きな百合の折り紙を、
母の顔のいちばん近いところにあるようにと、丁寧に置いた。
何度か肩越しに落ちそうになったので、置き直した。
そして、気づいた。
母にもらった真珠の数珠が、わたしの手になかった。
お棺の底に、落ちてしまったのだと気づいたが、
それでいい、と思った。
母は、宝石商だった。
宝石を売って、わたしを育ててくれた。
母がパールを選んでいる姿が鮮烈に記憶に残っている。
粒の大きさ。色。輝き。
一粒一粒の個性をより分けて、選んで、
一本のネックレスに作り上げる。
時に、高価な真珠たちを床にバラバラこぼしたりするのも、
また母らしかった。
母にもらった真珠の数珠は、母に還っていった。
母と最後に会った時は、
一緒に歌を歌った。
母の大好きな「お手々つないで」の替え歌。
♩おー手ーてんぷら、つないでこちゃん 野道をゆけバリカン
ってやつだ。
そして、唱歌集に載っていた「小さな秋見つけた」とか、
「我は海の子」とか。
最後の頃は、舌がもつれてちゃんとしゃべれなかったのに、
歌になると、ちゃんと舌が母音と子音をきれいに発音できるのが、不思議でならなかった
一緒に歌えて、本当によかった。
心残り。
もう一度、一緒に折り紙を折りたかった。
母が泣いている子どもを喜ばせたように、
蟹と百合の折り紙を折ってあげて、母が笑う顔を見たかった。
今日は「Color of Life」稽古最終日だった。
どこまでも作品に誠実に、凄い集中力で、稽古毎に発見を重ねてくれた耕平君とAKANEさんに、敬意を表する。心から二人を愛している。
劇場に入ってからの調整は、信頼するスタッフたちとともに。
初日を迎えるための調整のすべては、わたしの心で決まる。
この作品を0から立ち上げたかつての自分と、現在の自分を信じて、勇気を持って、選んでいきたい。
そして今日は、母の四十九日法要の日でもあった。
親不孝なわたしとしては、父と弟にすべてをお任せした。
稽古場バラシがあるので、17時に終了。
稽古がうまくいった日はいつもご機嫌なわたしが、どうも落ち着かない。
何かスカッとする映画でも観て帰ろうと「ララランド」上映館に立ち寄ったが、なんと満席。
では本でも読もう!と、村上春樹氏の新作を買ったものの、ページを開く気にならない。まだ落ち着かない。
母との別れを、ちっとも乗り越えられないわたしがいる。その上、大好きだった友達も急に逝ってしまい。
ご自宅にお別れに行けたものの、お通夜にも告別式にも行けなかった。友達として恥じ入っている。
今年になってから、とんでもない忙しさで、いつも数本の仕事が頭の中にあった。稽古場にいる時、劇場にいる時は、目の前の作品のことだけ考えていられるので幸せだが、自宅での仕事は、追われ追われての日々で、息もつけなかった。
そんな中、よく、突然泣いた。
心の穴が埋められない。
いくら理屈や哲学で埋めようとしても無駄。
わたしみたいな人は、幾本かの作品の中で救われつつ時を重ねるしかないのだろう。自分が創るものでも。誰かが創ったものに足を運ぶのでも。
そして、演劇の現場で人と出会っている時は、
わたしの中からぐいぐい力が湧いてくる。
仕事に救われる。
_________
1月14日。
母危篤の報せを受け、会いに帰るべく支度をしている時に、訃報が届いた。間に合わなかった。
霊安室とかではなく、小さな病室に眠っていた母のところに辿り着いたとき、様々な段取りをしてくれていた父はおらず、母と二人きりだった。
二人きり。すっかり冷たくなっていたけれど、まだ肌に柔らかさの残る母に、たくさん触れることができた。
もう母はいなくなっているのに、そこにあるのは容れものに過ぎないのに、抱いたり、隣に寝たり、さすったり、母をめちゃくちゃに触りまくった。
触った心地を、体に残したかった。
父と弟が見ていたら、ものすごく怒ったに違いない。
そして、写真を撮った。母の隣に寝て、一緒に撮った。
もう最後だから。
写真は、もう血が巡りを止めた母の手と、ぐいぐい血が巡っているわたしの手。
母から娘へと、バトンを受け取った気がした。
「次に死ぬのはさっちゃんだよ」と。
そして、そのバトンを持ち続けるこれからの時間を、
大きな揺るぎない愛情で祝福されていると思った。
わたしには子供がいないから、バトンは渡すのじゃなく置くことになるのだろうけれど、もうね、思いっきり長いこと、バトンを持ち続けてやろうと思った。
目の前で眠っている母にはもう喜んでもらう術もないけれど、この世に生みだしてもらったからには、とっても素敵にバトンを持ち続けてやろうと思った。
そして、「ありがとう」を山ほど言った。
翌々日、再び帰省。告別式を訪れた。
母の顔はとってもきれいで、穏やかで、
わたしたちのために働いて働いて、明るく輝いていた頃の面影があった。
あんなに素敵に一生懸命生きた後に、何年も何年も、病気で苦しむ人生の理不尽を、わたしは最後まで受け容れられず許せず、天を恨んだけれど。
きれいな母は、頑張り抜いて、誇らしげにさえ見えた。
生きるって、過酷だな。
でも、闘い続けるしかない。
そして。
人生で誰より母を愛して、脇目も振らず母を愛し抜いた父の姿が、悲しくて、胸が捩れるかと思うくらい痛かった。
父と母が愛し合い続けた時間が目の前にぐいいいいいと音をたてて流れているようで、
父の哀しみの大きさをどんなに想像しても、
父という他人の歴史の中には踏みこめないと思った。
わたしの抱えている孤独が、ひとまわり大きくなった。
でも、今、わたしは、
孤独なんて言葉、棚にあげて忘れてしまうほど、
めまぐるしくたくさんの人と出会っている。
ありがたい。
それを人生の後半期においても、
青春期の貪欲さで育もうと思う。
新しい出会いに命を注ぎ、
かつて愛してくれた人たちの命に支えられて。
少し、書いて、落ち着いた。
初日は目の前。
いい仕事しなきゃ。
トラムにて、渡辺えりさんの3○○
『鯨よ!私の手に乗れ』
冒頭から、ホームに入った老母の尊厳について、桑原裕子さん(えりさんがモデル)が涙
目で切れまくり、暴れるシーン。
客席は笑ってるのに、わたしはそこから涙止まらず。
銀さんの惚けた母の名演も相まって、こうして笑い飛ばしてくれることを泣きながら喜ん
だ。
演劇には浄化作用がある。
ドラマは、続いて、演劇に想いを残した女性たちの、
妄想と憧れ、記憶と現在が入り交じって、えりさんならではの世界に。
もう、とにかく、木野さん、鷲尾さん、久野さん、広岡さんが、
うまい、味がある、パワフル、もう最高で。
演劇少女のわたしは、何度もかつての自分を懐かしみ、胸のすく想いを味わわせてもらっ
切ないことばっかりなのに、大声で笑い続ける。
えりさん、久野さんにお会いできて、たっぷり観劇の喜びを伝えたあと、たまたま楽屋で
「いい芝居の後は一杯行きたいよね!」と、演劇女子らしく、王将でビール餃子。
客席からは見ていてもご一緒したことのない方といきなりビールとなるのは、ひたすらに
それだけで、話しは尽きない。楽しかった……。
自分の出自を思いだした。
わたしが何に憧れて、今、ここにいるのかを思いだした。
最近、ミュージカルが続いたり、商業が増えたり、
「イケメンが好きだね?」なんて言われたりもするわたしだが、
あの頃からちっとも中身は変わっていない。
18歳で上京して、早稲田の劇研を観て、黒テントを観て、状況劇場を観て、天井桟敷を
マチソワの観劇で、感じることたくさん。
「Color of Life」の稽古、7月の新作に向けて、
滋養溢れる1日だった。
わたしは、オーディションに向いてないと思う。
かつて俳優だったから、オーディションでわたしの何がわかる?と落胆を続けた自分を覚
えているし。
選ぶ側になってからは、
短い時間で人を選ぶことを重く受け止めすぎて、
つい、全員に長い時間をかけてしまったり。
だから、今回のオーディションも、
どれだけの人と会うか、どう出会うかを、
あれこれと模索中だ。
わたしが集まってくれる人を見るように、
集まってくれた人も、わたしを見ているのだ。
──────
2012年に、「EYES」というミュージカルを創った。
ミュージカルの長い期間をかけたワークショップオーディションで、配役が決まる最後の
俳優の悲喜こもごもを描いた。
わたしも、コーラスラインのザックのように、客席の一番後ろからマイクの声で出演した
木俣冬さんが、素晴らしい劇評を書いてくださったので、
これで空気感が伝わると思う。
http://www.wonderlands.jp/archives/
この中に、「My Real Feelings」
という歌詞を書いた。
オーディション資料をまとめている間、
この歌が、ずっと頭の中を流れていた。
──────
音が鳴り始める。
整列して舞台前に並ぶ俳優たち。
稽古着の胸に、それぞれ、
名前と通し番号の書いてあるゼッケンをはりつけている。
マイクの声 「では、時間がありませんので、それぞれ3分くらいで、自己紹介をお願い
女 ♪できるわけない! 3分で自己紹介?
男 ♪わかるわけない! 3分で人のことが
全員 ♪やってられない! いつものこの3分
それぞれの自己紹介が始まる。
時に、マイクからの質問や突っ込みが入る。
それに対する受け答えも交えながら、自己紹介が進む。
全員の自己紹介が終わったところで……
♪緊張してかみまくり、助けて!
少しおどけすぎだよな、あれじゃ!
審査員の貧乏揺すりが気になって!
馬鹿にしてるだけだろ、あの笑い!
本当はもっと自由なのに!
人間はもっと複雑なのに!
わたしたちの(俺たちの、)この3分間
あと何回繰り返せばいい、これを?
My Real Feeling わたしたち(俺たち)の生きてる実感
わたしたち(俺たち)のこの胸の奥
My Real Feeling 伝えるには どうすればいい?
わたしたちの(俺たち)何が足りない?
My Real Feeling 言いたいのは ただひとこと
この仕事が 欲しい、それだけ!
My Real Feeling このいらだち このむなしさ
舞台だけじゃ 食えない現実
My Real Feeling 抜け出したい この列から!!!
音楽、突然止まって、
オーディショニーの一人がふと、気づいたように、言う。
「だから受けるんだよな、オーディションって。」
──────
今読むと、実に単純な歌詞で気恥ずかしいが、
俳優たちが、リアルなオーディション風景を演じ、
苛立ちや夢を身体にのせてくれたので、
今でも記憶に残るシーンになっている。