▶母の折り紙
今夜は、そういう夜らしい。
母の思い出をひとつ書いて寝よう。
お葬式で、母のお棺に折り紙を入れた。
幼年期に母に教わった最大の奇跡、最大の美学が、折り紙だった。
特に、鶴の基本から作る、百合と蟹の折り紙が大好きだった。
病院で泣いている子どもを見かけた母が、
広告紙でちゃちゃっと蟹を折ってみせたら、
見事に子供が泣き止んだ。喜んだ。
母、お見事だった。
皆で母を生花で飾る時に、大好きな百合の折り紙を、
母の顔のいちばん近いところにあるようにと、丁寧に置いた。
何度か肩越しに落ちそうになったので、置き直した。
そして、気づいた。
母にもらった真珠の数珠が、わたしの手になかった。
お棺の底に、落ちてしまったのだと気づいたが、
それでいい、と思った。
母は、宝石商だった。
宝石を売って、わたしを育ててくれた。
母がパールを選んでいる姿が鮮烈に記憶に残っている。
粒の大きさ。色。輝き。
一粒一粒の個性をより分けて、選んで、
一本のネックレスに作り上げる。
時に、高価な真珠たちを床にバラバラこぼしたりするのも、
また母らしかった。
母にもらった真珠の数珠は、母に還っていった。
母と最後に会った時は、
一緒に歌を歌った。
母の大好きな「お手々つないで」の替え歌。
♩おー手ーてんぷら、つないでこちゃん 野道をゆけバリカン
ってやつだ。
そして、唱歌集に載っていた「小さな秋見つけた」とか、
「我は海の子」とか。
最後の頃は、舌がもつれてちゃんとしゃべれなかったのに、
歌になると、ちゃんと舌が母音と子音をきれいに発音できるのが、不思議でならなかった
一緒に歌えて、本当によかった。
心残り。
もう一度、一緒に折り紙を折りたかった。
母が泣いている子どもを喜ばせたように、
蟹と百合の折り紙を折ってあげて、母が笑う顔を見たかった。
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