誤解を招く表現を削除しました。
21:21
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新作「ボクが死んだ日はハレ」の稽古は、歌稽古を終え、
明日から本稽古に入ります。その準備に余念がありませんが、
その前にどうしても書いておかねば進めないことがあります。
この公演のチケット転売についてです。
晴れ晴れとした気持ちで迎える稽古ですが、
この問題だけは、心に重くのしかかっています。
音楽業界でも演劇業界でも、
この問題は根深く、なかなか取り締まり切れないこと、
その現状について、今まで以上に考えることになりました。
わたしたちの公演が、それに対処できない形で券売をしたのは、
大きな反省です。
先日、チケットの転売ではじめて詐欺容疑で立件されたニュースを見つけました。
http://www.sankei.com/west/news/170607/wst1706070047-n1.html
音楽業界でも、この問題に立ち向かう動きがあるようです。
https://www.tenbai-no.jp/
わたしたちの公演は、90席余が9公演の、
非常に小規模なものです。
その中から、かなりの割合のチケットが、高額転売されています。
そして、それでも観たいと購入されるお客さまがたくさんいることも見てきました。
その流れを、今回、わたしたちは止めることができませんでした。
「買わないでください」と、すぐに断固として宣言することができませんでした。
高額すぎるチケットは、きっと売れ残ることもあるでしょう。
本来、売れ残るべきなのです。この流れを止めるためには。
わたしたちが心を込めて創る作品が幕を開けて、
空いた席を見るのはとても辛いことですが……。
また、高価なチケットをご入手いただいた方には、
申し訳ない気持ちとともに、全力でその「観たい」に応えたいと思います。
この二律背反な気持ちは、言葉では説明のつかないものです。
演劇は、長い時間をかけて、たくさんの専門家が協力しあって、創り上げる、とても人間的な芸術です。舞台には、俳優やスタッフの人生(経験値)や愛情が、綾織りのように織り込まれているのです。
その作品を、人生の中のたった2時間ほどの体験を、お客さまに、チケット代として、等価交換で買っていただくのです。
わたしは、長年この仕事を心から愛してきましたから、
その流れを心ない人たちに崩されるのが、悔しくてなりません。
しかしながら、金銭を得るためにはどんな手段をも選ばない人々が生まれるのは、
物心全般、貨幣が取り持つ世の中では、止めることができないことです。
そういう「世界」に面と向かって、
わたしは、わたしたちの見たい「世界」を描くしかありません。
チケットを手にいれ、足を運んでくださったお客さまに、
その「世界」を届けるよりほかありません。
日頃、自分は演劇者なので、言いたいことはすべて作品の中でと思っています。
問題提議したり警鐘を鳴らす形でも、
世の憂さを劇場にいる間すっきり忘れるエンタテイメントを提供する形でも。
でも、この転売問題に関しては、作品だけでは伝わらないと感じ、
ブログに思いをまとめて、作品の創作に進みます。
今回の公演だけでは、お答えできることとできないことがありますが、
千穐楽を迎えるまで、万全の体制を、スタッフと相談してまいります。
そして、まずは愛される作品を創り、再演など、次の道を考えます。
後日、正式に公演HPで発表いたしますが、
当日券はお出しする方向で進んでおります。
小劇場ゆえ、受付スペースも広くはありません。
近隣に迷惑の出ない形で、体制を整えますので、
今しばらくお待ちください。
公演HP
https://polypho.wixsite.com/harebare
あらゆる形で、この作品を楽しみにしてくださっている方々に感謝し、
わたしたちは、質の高い、人の心に残る作品を創ることに、
邁進いたします。
演出家 劇作家
Theatre Polyphonic主宰
石丸さち子
※転載はお断りいたします。
※言葉では伝わらないことをあえて言葉にしております。
一部分の抜粋もされないよう、お願いいたします。
==========追記==========
先ほど、稽古開始に向けてあえて言葉にした、
チケットの転売について、
Twitterで、先ほどのポストを読み悲しまれる方の声が届きました。
わたし自身、胸が痛くなりました。
誤解を生む表現があったようなので、
追記します。
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転売を専門にする方たちがチケットを購入されたと認識しています。
出演者の責任では全くありませんし、
責められる理由など微塵もありません。
ボクハレチームは、出会ったばかりですが、
きっとこれから絶大なる信頼と友情で結ばれていくことでしょう。
責任は、主宰のわたしにあります。
それは、先ほどのポストで記した通りです。
問題は、誰かが誰かを愛する気持ち、大切に思う気持ちに、
つけこむ人たちがいることです。
明日から、まさに、
「誰かが誰かを愛する気持ち、大切に思う気持ち」
についての作品を創っていきます。
言葉は、あるときは届き、
あるときは人を傷つける可能性のあるものだと自覚して、
明日からの稽古に向かいます。
石丸さち子