▶五月の風と、優しい牛丼。
記憶に残る食事は?
という質問。
何度か訊かれたことがあったから、いつでも答えられる。
母の作ってくれた家族の食事をいれると大変なことになるから、別枠として……
1位はスペインにて旅公演中。
2位は東京湾近辺にてデート中。
3位は、築地本願寺にて。
1986年、わたしが俳優としてNINAGAWA STUDIOに入った年。
平さんのオイディプス王、野外公演。
築地本願寺の本堂と階段、境内を縦横無尽に駆け抜けてテーバイの市民として平さんに向かい続けるのは、
最高に幸せだった。
でも、みんなへとへとで。
ゴールデンウィーク前の野外の夜稽古はまだまだ寒くって、
烈しく動いた後に、どんどん汗が冷えて凍えそうだった。
そして、歌いまくり動きまくりで、おなかぺこぺこで。
稽古終わりに、100人近くいたスタッフキャストに、
Y屋の牛丼が届いた。
蜷川さんからの差し入れ。
稽古着浴衣のまま、本願寺の境内で、みんなと食べた。
あんなに美味しい夕飯、あんなに楽しい夕飯、なかった。
蜷川さんの演助を始めてからは、
よく帰り道、車に乗っけてもらってお肉を食べに連れていってもらったけれど、
あの俳優時代の牛丼の味は、
蜷川さんのもとで商業演劇に出始めた頃の未来への期待や、
平さんとご一緒できる興奮や、
演じる心と体の熱さの余韻とともに、
きっと一生忘れない。
きっと最期まで思い出す。
だから、時々、すごく牛丼が食べたくなる。
今日も、五月の心地よい外に背を向け、
ひたすら仕事に埋没する自分が、少し寂しくなった。
散歩に出て、DVDを借り、スタバでコーヒーを買い、
ワンピースの裾が五月の風と遊ぶのを楽しみながら、
牛丼を買って帰った。
牛丼を食べたら、ちょっと泣いてしまったので、
こうして書いている。
今踏み出す一歩を、支えてくれるのは、
過去、現在、未来のすべて。
でも、いちばん優しいのは、過去、かもしれない。
向き合って闘う必要がない。
過去は、振り向けば、閑かにそこにある。
牛丼メランコリーが終わったら、
ブエノスアイレスの過去に戻るよ。
「ボクが死んだ日はハレ」本稽古が始まるまで、
「サンタ・エビータ」のリライトに全力。
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