2007年6月 6日 (水)

母に電話をする幸せ。

■我が母。
 動脈瘤の手術を受け、合併症のあれこれで生死の間を彷徨い、植物人間状態となった母が、奇跡的に目覚めて、すでに2年が経つ。その目覚めを、主治医は「奇跡」と言って憚らなかった。目覚める前に、「奇跡でも起きない限り無理だと思います」と告げたとき、主治医は「奇跡」を信じていなかったに違いない。
■母は、自分が起こした奇跡のことを何も知らず目覚めた。手術の時すでに脳梗塞を起こしていたものだから、記憶がさっぱり失われて、まっさらの状態だった。そして、父と出会いなおす。それまでも世界中でいちばん好きだった人と出会いなおし、あまりにも自分に優しい人として再び好きになり、頼り、甘えた。わたしはしばらく、母の妹、わたしの叔母にあたる「礼子ちゃん」の名前で呼ばれ続けた。のどに差し込まれたチューブからしか生きるための栄養を摂取できなかった母が、はじめて「礼子ちゃん」であるわたしの差し出すスプーンからゼリーを口にした時は、生きるために食べるということは、なんて素晴らしいことだろうと感動した。そのとき「まずいなあ、でも礼子ちゃんが言うんやったら食べるわ」という意味のことをたどたどしくも口にした時は、「この人は治る、きっとよくなる」と確信した。元気だった頃の母が、垣間見えた。
■母の記憶は、2年間ですっかり戻った。じわりじわりと戻り、躍進的に戻り、また後退しては戻り、で、今は物忘れの激しくなったおばあさんくらいですんでいる。
■脳梗塞の影響で、目が見えなくなってしまったものの、これもたまにぼんやり見えることもあるらしい。わたしが久しぶりに会いに行ったときに「あんたの顔が見れたらどんなに嬉しいか」とぽろぽろ涙をこぼしながら、全盲人のようにわたしの顔を撫でさすって確かめたりするものだから、わたしもぽろぽろ涙をこぼしたというのに、そのすぐ後一緒に食事をしている時に、「こぼしたで!」と、わたしの食べこぼしを咎めたりする。「なんや、見えてるやんか!」と突っ込むと、泣き真似をして見せて「たまーに見えるんや、たまーにやで!」と言い訳してみせたりする。「この人は大丈夫だ」と、その時、また思ったりした。
 
■昼間、今日は夜一回公演で時間があったので、電話をかけてみた。4月に帰省して以来、久しぶりにのんびり話した。
 目が見えなくても、相変わらずの病院通いでも、母は生きていることだけでうれしいみたい。なにせ、大好きな父とずっと一緒にいられて、大好きな父がずっと面倒をみてくれるのだから。
■母は、自分が起こした奇跡について、周囲から聞かされて自分でも驚いていたものだが、今は二つのことが、自分を生かしてくれたのだと思っている。
 一つは、自分が頑張って周囲の人間のために生きてきたこと。だから、たくさんの他者が、恩返しのように生かしてくれた、ということ。
 もう一つは、父が待っていてくれたこと。父がいなければ、一人で生きられない老女を神様は生かさないだろう、ということ。

■母と話していると、わたしはいつも心が穏やかになる。
 わたしが生きてるということだけで喜んでくれる人がいる、と、ほっとする。そして、相変わらず出世もせず金持ちにもならず、周囲の人間の面倒を見続けるわたしの暮らしを見て、「あんたは大丈夫。ママみたいに、いつかいっぱい恩返しされるから」と信じている。その確信に、わたしの荒れた気持ちが凪いでいく。
 生きてるだけでよくって、凪いだ気持ちでばっかりいたんじゃあ、わたしの屈折した仕事はうまくいかないから、だから、たまに電話をする。たまに電話をすると、幸せになる。

 今日の午後は幸せだった。母と電話で話す幸せ。