2015年8月30日 (日)

新しいはじまり。旅する術。

お手製台本から、製本された台本へ。
 
このところ、作・演出で仕事をしてきました。
NYで上演した「Color of Life」で、台本が認められてから、
演劇への立ち向かい方が、少し変わったのです。
でも、実は、このように製本されるのははじめてのこと。
緊張します。
演出家として一本立ちするのも遅かったのに、
さらに遅れて、劇作も始めている自分に驚きます。

こんな時、いつも、香川照之さんのことを考えます。
蜷川演出「桜の園」でご一緒して、俳優として敬愛し続けてきました。
演出家として動き始めた頃、観劇のあと楽屋でお会いしてその話をしたところ、「素晴らしい! 始めるのに遅いなんてこと何もないよ!」と、最高に開いた笑顔で祝福してくれました。
その時、香川さんはすでに、歌舞伎役者として新たな人生を始めることを視野の中にいれてらっしゃったのです。
その勇気、不安、恐怖に較べれば、わたしなど、何ほどのものでしょう。

13歳から、演劇のことしか考えていなかった。
中高エスカレートの学校だから、中一の時から高校演劇へ入部。
この間、映画の「幕があがる」を見た時には、自分が高校演劇に夢中だった頃のことを強烈に思い出しました。
先輩の代で全国大会まで行き、
わたしの代では近畿大会止まりだったけれど、最優秀俳優賞と最優秀演出賞を頂きました。そして、審査員室に呼ばれ、「東京に出てきて、演劇をやりなさい」と薦められました。
ああ、気恥ずかしいけど、青春。

それから……と考えると、 もう、一人分の演劇時間は、とうに過ごしてしまったような気がします。

あとは自由な余生!ってくらいの考え方でやりなさいよ、と、
自分に言い聞かせています。
わたしはあまりに、無我夢中に進む人なので、肩の力を少し抜くために。
いつも、本質に目が向いているように……。

清水邦夫さんの「血の婚礼」の台詞が、聞こえてきます。
(俳優時代に、この役を頂いたことは、一生の宝物。)

「目的だけをひたすらに追い求めるような視線には、
さすらいの素晴らしい風景や事件は、飛び込んでこない。
そんな視線の前には、森も、川も、ずっと閉ざされたままだ。
旅する者だけが持つ無心の輝きが、憧れの星の前で色褪せないように、
足取りも軽く、
時にはスキップもして、
世界のあらゆる輪舞の中へ入ってゆき、
踊り、ざわめき、歌いながらも、
愛する遠方にはきっちりと目を向けている。
それが旅する術だ。」

Book

2013年10月 7日 (月)

かつて稽古場があった場所で、フロイトについて考える。

今、新大橋のChatという店にいる。
ベニサンに稽古通いしたことのある人なら思い当たる、稽古場の隣の喫茶店だ。
わたしは24歳からベニサンの5階にあった蜷川スタジオに通っていたから、
もうどれだけこの店に入ったことだろう。
ベニサンがマンションに変わってしまった今も、この店はある。
所用で通りがかって、吸い込まれるように入ってしまった。
時計の針がとんでもないスピードで逆回りを始める。
わたしという容器は刻一刻老いに向かって、歩みを止めることは決してないのに、
精神だけが、過去に足を伸ばす。
危険だ。


NYから帰ってすぐに、谷賢一翻訳・演出「最後の精神分析—フロイトVSルイス—」を日暮里d-倉庫に観に行った。
上演成果に関しては、終演後演出家と直接語りあったので、感想めいたことは書かない。
ただ、今この作品を観るということが運命だったか?というほどに、強いインパクトをわたしは受け、ぐらぐらと揺さぶられて、今がある。考えずにはいられない、書かずにはいられない、今だ。

この戯曲をわたしが個人的にフロイト側から読むと、いくつかの要素、エレメンツがある。
・フロイトがユダヤ人であるということ
・第一次大戦が終結した後の世界の大きな流れに(或いは極所的な流れに)人々がまだ訳を知らずに身を任せている間に、第二次大戦が芽吹いてきた、まさにその時代であること
・神とは何か、イエス・キリストが何者であるかという問題が、永遠の謎であること。(世界を瞬時に崩壊できるだけの知力を得た現代人でさえ、答えは用意できない。)
・フロイトが老人であること
・フロイトがすでに癌に冒され(癌治療が現代とは比較にならないくらい進んでいなかった時代に)、手術の失敗により口内が冒され、不出来な人工口蓋をつけて暮らしていたこと
・フロイトが思考を妨げる麻薬による痛み止めを排し、痛みと共棲していたこと
・そこに、若く純粋な文学者が、神の存在について対話しにやってきたということ

木場勝己さん演じるフロイトは、幕開きから、忌々しそうにゆっくり歩く。ヒットラーからウィーンを追われ、自分の家族を恐怖に陥れた現在への忌々しさか、崩れゆく自分の肉体への忌々しさか、刹那の痛みの忌々しさか、約束に遅刻してくる客人への忌々しさか。
ルイスを迎え入れて会話が始まってすぐに、フロイトは指を人前で無様に口内に突っ込んで顔を歪める。
彼の崩れた硬口蓋から軟口蓋を覆っているアタッチメントは、実に不出来なものだということが、痛みが常にそこに棲息していることが、容易に見てとれる。
ここから、終演までわたしの戦慄は止まらなかった。

わたしの聞き間違いでなければ、純粋なキリスト教信者であるルイスに興味を持ち呼んだのは、フロイトの方だ。
なぜ彼はこの純粋極まりない論客を必要としたのだろう?
発語するという行為は、どこまでも口蓋を刺激する行為だ。
痛みは日常だったかもしれないが、現に論争中に人工口蓋をルイスの手を煩わせてまで外している。
なぜ彼は「神の存在」についてといった答えのあるわけもない論議に、熱くなり言葉を弄するのか?
第二次大戦の開戦は、知の巨人ではない、人間フロイトを、どう揺さぶっていたのか?
彼は自分の老いをどう受け止めていたのか?

老いるということは、多分に、排他的になることだと、わたしは思っている。
彼のように理性的に科学的に、人間を分析してきた人なら、自らの脳内だけで論議は全うできるだろう。自らの宇宙に答えは用意されていて、他人の反駁を必要としないはずだ。今まさに戦争が始まらんとする時に、なぜ彼は「神」についてなど論じようとしたのか?
……この文章は問いばかりになる。

老いて、避けられないものばかりが残る。この世の凄惨、人間の愚かさ、我が身の痛み、この世を去るという絶対……。すべて回避不可の現実を前に、人が何を考えるか。
どこをどれだけ彷徨い、何を手放し、最後まで何を手放すまいとするのか。
わたしの興味はそこにある。
木場さん演じるフロイトから、わたしは、人間を理性で知り尽くそうとした巨人の頭の中を、妄想する。想像を超えているとわかっているのに。
それは、これからわたしが通る道でもあるからだ。
動かしようのない孤独。誰もが、期せずして若く死ぬことなく、生きながらえてしまったら、必ず通る道。
この命が終わることを前提に生きる、生きてしまった後の、孤独。
自分の人生でなしたことを、すべて忘れ、0に化する時を迎えるための孤独。
自分の人生が終わっても、続いていくはずの世界を遠見してしまう孤独。
こんな巨人に、自分の老い先を見ようとしてしまった理由が、わたしにとっての、この作品の魅力であり、出会いだった。
恐らく、この知の巨人は、感情の表出の仕方も、表情筋の作りも、一般や標準を受け入れない、特殊なものだったに違いない。彼の写真を見て、わたしは想像する。
しかし、彼はルイスを呼び、ルイスと語り、しかも「神」を巡って熱くなった。開戦時に。痛みを抱えて。
明らかに、他者に手を伸ばしていた。
そして、このわたしですら、その対論に入っていきたいと思わせる、真っ当で優しい人間らしさを見せた。
その奥に隠された、孤独。
来客中避けていた音楽を、一人になって聞く姿。
音楽を味わうには粗末過ぎる再生装置から流れる音が、彼の宇宙の中で、時を癒す音楽に変わっていく様が表情に見てとれる。わたしも、彼の宇宙に聞こえるオーケストラの喜びを、ともに聞く。

木場勝己さんという、人間的な、あまりにも人間的に魅力的な俳優が演じることによって、フロイトがわたしのところに降りてきた。ルイスとともに、わたしは、フロイトという先達の前に自分を晒す。

こうして生きている意味について。
この喜びと苦悩の意味について。


かつて自分の若き人生時間のほとんどを費やした、稽古場のあった場所で。
自分が50代にあることを思う。
激しい孤独と闘いながら、わたしも「神」について、「救い」について、考える。
どれだけ、こんな思考の時間を過ごせばよいのか、少し気が遠くなる思いで。
考えは一切まとまらない。
いくら書いても、無駄に消えていくだろう、言葉たち。
意味を与えられない時間が過ぎるばかり。
だから、また作品を創ろうと考え始める。

2013年9月19日 (木)

MITFから、お祝いの言葉が届いていました。

2013年9月 9日 (月)

筆舌に尽くしがたいこと。感興、断片。

昨夜、d-倉庫にて、モスクワカヌ作伊藤靖浩音楽、ミュージカル「マドモアゼル・ギロティーヌ」を観た。
観た、と言っても、劇場入りして初日を立ち上げるまで、音環境を創るお手伝いに行っているので、初見ではない。でも初日とは全く違う、静かなる感動と興奮を覚えた2時間半だった。
ドラマと選ばれた言葉自体は、憧れで紡がれた少女小説のようだとわたしは感じたのだが、(これは否定ではなく、ワカヌ作品の魅力はそこにあると感じている。)それを伊藤靖浩の音楽が透明な死生観にまで高めてしまっているのは、当初から感じていたこと。昨日の感動は、その音楽の表現のしかた、呈示のしかたにある。
このことについて書こうとして、わたしは昨夜から敗北し続けている。
筆舌に尽くしがたいという言葉があるけれど、その意味を一晩で実感した。
終演後彼にその感動を伝えるわたしの言葉は空しく、こうして書き言葉にしようとすればするほどまた空しくて消し。
わたしの筆と舌は、彼の音楽彼の表現を、まだ表せない。
今日の午後、もう一つ本番を残しているからか?
芸術の受け取り方は人それぞれで、誰がどう感じてもかまわない。だから書いていいはずだのだけれど、言葉にするのが惜しい。

パスカルの言葉を借りよう。
「情念は過度でなければ美しくありえない。人は愛しすぎないときには十分に愛していないのだ。」
作曲家としては、楽理と深い情感の間を激しく行き来し、表現者としては冷静冷徹な彼。
今回は、打ち込みのオーケストレーションにピアノの生演奏を重ねるという方法のために、クリックと返しの流れるヘッドフォンで、劇場内の生音から自らを閉ざしている。
そのことが、魔術的なトランス状態を呼び、初日には、すべてを掌握しコントロールしようとしていた彼の音楽、彼の精神、彼の肉体が、昨日は違うところにあった。
静かで。音楽に直向きで。舞台から遠い孤独の中にあるようにも見え。また、すべてが彼の内部の表出のようにも見え。
表現者の安易なナルシズムを嫌う彼が、新しい場所に立っている。
過度な情念、深すぎる愛情は、彼の体の中に巨大なエモーションを生んでいるのに、体に表れる表現は無駄がなく美しい。
演劇を凌駕してしまいそうな彼の身体性を、カリオストロ役の山田宏平さんの存在がしっかりと受け止めていてくれた。

スペインで「ゲルニカ」を観た時のことを思い出した。
短期間で描きあげた「戦争」。絵の中には、短い時間と長い長い時間が封じ込められていて、それは、ピカソと世界の歴史とも言い換えられるのだけれど、それを目の辺りにした時の感興を思い出した。
でも、このことは改めて書こう。
筆舌に尽くしがたいものを語りたくなるのは、人の常。
だからこその、芸術の喜び、煩悶。
演劇の神様より、悪魔に身を売ってしまったが如き彼の演奏も、今日の午後で最後だ。
色んなものがブラッシュアップされる再演があるとしても、今回の彼はきっともう現れない。
あらゆる状況・現在を、過度の情念と過ぎた愛で乗りきろうとした彼の時間が呼んだ、横溢と静謐だった気がする。

2013年7月31日 (水)

NYの蛍〜NY滞在日記(7/18〜25帰国)

7/25
AAにて、羽田にさきほど到着しました。上演に使った絵など、かなり多めの手荷物での帰宅なので、迎えの車を待っています。
仮の宿を離れる前に鍵が紛失したりとか、何から何まで大騒ぎで、本当に何の観光もお休みもなく、NYを離れました。
たくさんの人に、支えられた仕事、支えられた旅でした。
サポートしてくださった皆様への報告やご連絡、あらゆる経費の決算、この演目の今後の展開、次回公演の準備など、山積み。
大きな体験を経て、また新しい気持ちで演劇を楽しみたいと思います。
でも、その前に、35日離れて暮らした、愛猫風に会える時が、ああ、もうすぐ!!!

7/24
エリと短い時間で、たくさんの話をする。
友人の目に映った自分を大切にすべきだ、というのは、このNYの仕事で、エリ(旧友)と啓ちゃん(新しい友達)と過ごして、実感したこと。
自分が、「自分」と思っているものより、友人の目に映った「自分」の方が信じられる、という、珍しい現象。いや、珍しくないのか?
母に電話をし、ほんのわずかな時間で、自分の生きているありがたさを実感する。
わたしが"M10 Our Time"で書いたように、延々と続いてきた時間の中で、命が生まれ、父が育ち、母が育ち、子供が産まれ、また父が育ち、母が育ち、子供が産まれ、人間は「求めよ、さらば与えられん」って言葉そのままに、進化を続け、今に至る。その連鎖の中の母とわたし。
母と話しているだけで、そんな、長い長い時間に詰まった愛情と生きる力を感じる。
母の声を聞いていると、こうしてしっかり「生きて」いることが、自分の大事な仕事なのだと思えてくる。
わたしは、失敗や後悔の多い半生を送ってきたけれど、母がいるから、いつも前向きでいられるのだ。きっと。

7/24
オフとオフオフの業界事情をわずかに聞き込んできて、これからここでまた何が出来るか考える午後。
夕刻よりブルックリンに移動して、かねてから靖浩が、終演した暁には行きたいと望んでいたオイスターバーへ。
わたしは、パリ公演の折り、大好きな生牡蠣を人並み以上に食べて至福を味わい、人並み以上におなかを壊して地獄を味わった人。(あまりに死にそうだったので、搭乗拒否されてしまった。機内で死んでも文句言わないって内容の誓約書に署名して、ようやく乗せてもらった……。)
だから、幸せそうに牡蠣を食らう靖浩とフランを眺めていただけ。
でもまあ、人が幸せそうな顔してるのを見るのは、悪くない。
今は、お世話になった黒部エリ様をアストリアのブロードウェイにあるビアホールで待っている。ひとり飲み。
電話なしで結局1ヶ月乗りきった。
だから、こうして今、携帯のない時代みたいに、なかなか連絡が取れず待ち惚けしているのだ。まあ、最後の夜に、そんなのもいい。
かなり気持ちいい店だし。
さっき、怪しいWifiにつないで、30分のネットワークをゲット。
メールできたので、たぶん会える。
NY最後の夜。
感傷的になるには大人過ぎる。感傷など、ない。
大人なので、分析が過ぎると嫌気がさすので、人待ちの風体を装って、頭を空にする。
ただ、こうして一人オープンエアで飲むことを、楽しむ。
頭の中に何もない時間は、久しぶり。

7/24
明日の帰国に向けて、やることがいっぱい。
まだ仮に稽古場に置かせてもらっている小道具の整理、持って帰るか送るかの算段。
近い先、またここで公演するための勉強に、人と会う約束。
そして、1ヶ月強の仮の宿の、大掃除、大掃除……。
でも、体がだるくで動き出せない。
この1ヶ月、東京では自転車移動のわたしが地下鉄に乗りまくり、常に重い重い荷物と一緒だった。稽古場も午前午後夜と3カ所移動をすることなんてざらで、まあ、とにかく、毎日持ち運ぶ小道具パソコンスピーカー、そういうものの重さとの対決だった気がするなあ。
わたしの年齢でこんなことできる人なかなかいないってことを、自慢に思うか、恥ずかしく思うか、微妙なところなんだけれど……。
今は、元気な自分に感謝しつつ、わたしのサポートをしてくれる人材を探していくことにします。
助けてもらうことが、どれだけ大切か、この公演でわたしは知りましたから。
さあ、動き出すぞ。まずは……朝ごはん。

7/23
4回の公演をすべて終演して、一日が経ちました。
すぐには、そのことを言葉にすることができませんでした。
わたしたちの公演は好評のうちに幕を閉じ、いろんな思いがけない意見と感想を頂き、興奮と感動の4日間でした。
でも、そこには山も谷もあって、そのたび、飛び上がったり、沈み込んだり。山や谷というより、スパンが短すぎて、ジェットコースターでした。
あまりにも演劇は複雑で、あまりにも演劇はシンプルで、あまりにも演劇は手強くって、あまりにも演劇は簡単で、あまりにも演劇は偶然で、あまりにも演劇は必然で、あまりにも演劇は優しく、あまりにも演劇は残酷で、わたしは、演出家としての自分を、見直す時間が必要だった。
Directionを色んな方に誉めて頂きました。とってもうれしかった。でも、それだけじゃあ足りない。人の心は掴めない。
わたしは欲張りだから、鷲掴みできないと気がすまない。
プロデューサーとしては、4回目の公演を満席にすることができなかった。いくら頑張っても、結果が出なければ駄目。
もちろん、結果が出ることなのか出ないことなのか、しっかり肌で感じないままに、がむしゃらにやり続けていたって事実があるし。
でも、次に進むためのステップは、しっかり踏み、歩んだ。
客席に観客を迎えるための仕事のなんたるかを、学んだ。
それは日本でも、ここでも、変わらない。
舞台は、3回目の公演で、もう惑うことなくただ成長するだけ膨らむだけと予想していたものが、4回目の公演で、またわずかなバランスのずれを見せました。
本番で、作品をキープしていくこと、育てていくことの難しさを、どんなにか痛感しました。どんなにか、どんなにか。
もちろん、観客に向けての演劇的成果は、ほぼ変わりません。小さなスタッフ的ミスとか、ささやかな表現の変化などで崩れる作りではありません。でも、もっと羽ばたくはずだった、という、演出家の欲です。
ようやく、厳しい状況下での初演を終えて、これから、またこの作品を抱えて旅立つつもりです。
帰国したら、また別の新作に挑む予定ではありますが、この作品はさらに育てます。まだまだ可能性を抱えた作品を、わたしは作ったんです。
この年齢になって、まだまだ、こんなに傷つきながら学べることに感謝します。自分の弱さと強かさ。両方を行き来しながら、学びました。熱さや痛みの記憶とともに。
スタッフキャスト全員に感謝して、今回の公演を終えます。
わたしにとっては、まだまだ後片付けが続きますが、それは次に向けてのスタートでもあります。
わたしの書いた言葉たちは、英語上演ですから、ここNYでは発表されないままでした。近いうちに、日本でも発表しなければ。
伊藤靖浩演じる和也が歌う、最初の歌は、”Color of Life" タイトル曲です。
画家である彼が、表現者としての現在を歌う唄。
こんな歌詞で始まります。
僕の目に映る
光 影 緑 太陽 水 
すべてを喜ぶ世界中の輪舞 踊り歌う人たち
僕の目に映る
涙 憎しみ 怒り 崩れ 諍い 
すべてを悲しむ世界中の業火 泣き叫ぶ人たち
僕の目に映るものは そのまま僕の体の一部になる
だから僕は 描かずにはいられない
これは、わたしが作品を創り続ける気持ちでもあります。
たくさんの方に支えられて、ここまで来ました。
心から、御礼を申し上げます。
わたしは演劇でしか恩返しができません、きっと。
ひたすらに、また、創り続けたいと思います。
ありがとうございました。
この経験で、わたしはさらに、世界と、生きていることと、仲良くなれた気がします。

7/22
昨日のカーテンコール。
靖浩、笑顔全開。
NYでの稽古、本番の中で、急速に俳優の顔になってきている。
舞台の神秘。魔法。

Rimg2052


7/21
Message from Sachiko Ishimaru.(Producer/Director/Playwright/Lyricist)
The last day of our show in the MITF has now arrived. From our opening performance, we have been embraced by an audience who loves us. Last night was a full house again, and I hope our final moments will find us surrounded by many viewers. The creator and executive producer of MITF John Chatterton called it a "beautiful and simple" production. For a Japanese director as myself, producing an English dialog/theatrical piece for a festival as this was no easy task. To present a show as a world premiere certainly has been a challenge to overcome. Yet what an exhilarating feeling now to have experienced this all. To look to future work in this area is what I anticipate hereon. Please don't miss this final day of our world premiere. I will be at the theater this evening, so please join us tonight. Let the show delight and perhaps even inspire you for a relationship that can "color" your world.

7/21
昨日は、静かに興奮していました。
それが今日は、わたしの胸のうちで、なんだか青い炎にまで進化しています。
昨日は、舞台の出来こそよかったけれど、わたしは客席を満席にできなかった。それが悔しくて悔しくて、家に帰ってから延々、自分に出来ることをやりました。パブリシストとの作戦展開、ポスティング、リスティング、今さらでも何でもかまわないから、やってみました。そして、再度のお誘い。あらゆること。
本当は15時から稽古だったんだけれど、20時の開演目指して、16時半まで「プロデューサーモードでいさせて!」とお願いして、稽古場でキーボートを叩き続けました。そして、ようやく演出家に戻ったんです。
今日、開演前、席が足らなくて見切れ席を復活しながら、満席の客席を見た時のわたしの感動は、半端じゃなかった。
日本でやっていれば、なんてことない、小劇場なんです。
でも、最初全く闘い方のわからなかった場所で、とにかく聞いて頼って見つけて頑張り続けた結果が出ました。
そして、芝居は今日もよかった。
同じことをやっても、客席がいっぱいだと、全然違う生き物になることを、本番中に作品が成長していくのを、肌で感じました。
今日の観客席、日本人はごくわずかでした。
靖浩の英語がちゃんと伝わっていて、小気味のいい笑いが来た時などは、作家としてはもう、うれしくってうれしくって。
作品が動き出しているのを、目の当たりにする喜び。
愛されているのが、客席にいて、わかるんです。
4時間半の劇場稽古で、明かり作りがほとんど出来ないまま、わたしとの打ち合わせと稽古場GPだけで本番を迎えた、照明のPOE君。
初日から今日まで終演後は、ずっとわたしと顔をつきあわせて、反省会と翌日への作戦会議。今日も、さらによくなる変更を思いついてしまった演出家に、気持ち良くこたえてくれ、何よりこの仕事を楽しんでくれている。
本当にありがたい。
そして、アメリカは、夢を持つ人間にチャンスをくれる国だとひしひしと感じています。
"Color of Life"は、このMITFでの上演だけではなく、さらに愛される時間と機会を持つことができるかもしれないという、夢が、わたしの中に生まれました。今日。
青い炎です。
すべては、自分にかかっている。わたしが何を望み、どう立ち向かっていくかにかかっている。
この作品は、わたしのターニングポイントになります。
急にわたしを取り巻く世界が変わらなくっても、わたし自身の演劇人としての意識は、1ヶ月で急に変わっています。
支え、応援してくださった皆様のおかげで、わたしは、大きな大きな勉強をし、収穫を得ようとしています。
明日、千穐楽を迎えます。
今夜も、明日の客席を夢見て、仕事を続けます。

7/20
2日間の休息と稽古を挟んで、2回目の公演。
わたしの見たかった世界が、今日、見えてきました。
わたしは、静かに興奮しています。
このMITFの主催者、John Chatterton氏が、今日観劇されました。
ずっとオフオフブロードウェイを愛してきた演劇人。
招聘が決まってから、わたしはずっとJohnとメールのやり取りをして、この公演のあれこれを決めてきました。
もう、なんだかメル友かというくらいに、メール、メール、メールで仕事を詰めてきました。
最初に、Welcome Partyで会った時、
"Nice to meet you"の挨拶のあとに続いた言葉が、
"Your script is very good"でした。
すでにメル友状態だったとは言え、初対面で自分の台本を誉められて、わたしはすっかり気分をよくしたものです。
そして、今日の終演後。
Johnはわたしに、
"It's a great musical, new musical. It's simple ,beautiful."
こう言ってくれました。
そう言って頂けてうれしい、と喜ぶわたしに、うんうんとうなずいて去っていったJohn.
わたしは、静かに、静かに、興奮しています。
うれしい。芯からうれしい。ひたひたと喜びがこみあげてくる。
でも。
でも。
わたしは、まだ物足りないんです。
わたし自身の想像を、まだ越えてこない。
絶対に、まだ先がある。
たった60人しか入らない小劇場の中に、広い広い世界と、長い長い時間を閉じ込める魔法を、わたしは使おうとしています。
もっと広い世界を見たい。
もっと長い時間を、一瞬で感じたい。
自分の創ろうとした作品に、わたしはノックアウトされたい。
芝居が、奇跡の瞬間、魔術的な瞬間を迎えると、わたしは最もこの芝居をよく知っている観客として、誰より早くノックアウトされちゃうはずなんです。
その瞬間を求めて、わたしは明日も稽古をするし、午前3時、深夜スーパーで、明日の朝ご飯に、肉だのにんにくだのを買い求める。
演出家の仕事、母の仕事。そして、プロデューサーの仕事。
最後まで、ひた走るつもりです。
きっと疲れているのだろうと思うのですが、異常に元気です。
躰の中から、ずっとエネルギーが溢れて止まりません。

7/19
ニュージャージーでの稽古後のバーベキュー。
もうずっと昔のことのよう。
今思えば、この一日の稽古がターニングポイントだったような気がします。
今日の稽古は、台詞と歌のランスルー。
そして、初日を振り返っての細かい稽古。
さらには、通し稽古。
必要な稽古だったとは言え、二人ともくったくたになってしまって、
遅い晩ご飯は、大判のビーフステーキをスーパーで購入。
弱った時の神、にんにくを丸ごと蒸し焼きにして、一人2個くらいぺろりと平らげる。
あとは、しっかり睡眠をとってもらって。
元気な二人に、明日の朝、会えますように。
ものすごく俳優に高度なことを要求する作品なんです。
深々と感じて表現することと、感情をコントトロールすること、この二つがどちらも必要。
頑張って1時間半を駆け抜けるような芝居ではないんです。
今日の通し稽古はとってもよかった。
明日、劇場で、これをやりたい。
フェスティバルにはよくあることで、開演前、劇場に入れるのは15分前です。
……驚きでしょう?
15分で、音響照明のチェック、道具のプリセット、客入れ、全部やるんです。
初日はしっかり作戦をたてて挑みましたが、予想外のことが幾つもあって、スムーズな15分とは言えませんでした。
そこからの、始まりです。
あと3回。なんとか、いい状態で幕を開け、トップシーンで、客席を掌握してしまいたい。
さあ、2回目の公演。
なんと、21時45分の開演です。
こんな時間の開演も、この仕事をやりだしてから、初めて。
何もかもが経験。
何もかもがチャレンジ。

65251_411213738998716_235114732_n


7/19
昨日は、NY COO GALLERYでのライブパーティー。
いい出会いがたくさんあった。
応援資金も集めて頂き、また感謝の夜。
今、ギャラリーのガラスケースを飾っているアクセサリーの作家、Sumi Nakazatoさんとわたしはすぐに通じるものがあって、
画家の啓ちゃんと、3人で手をつないだ。
啓ちゃんが、出会いの神秘を、神様に感謝するお祈りを唱えた。
不思議な時間だった。
さあ、今日はしっかり稽古をする。
明日の本番に向けて。

7/18
昨日、無事、初日を開けました。ほぼ満席の客席にて!
わたしの"Color of Life"は、観客の皆様に絶賛されました。
靖浩の歌声、フランの可愛らしさ闊達さ、二人のコンビネーション、楽曲の美しさ、そして、作品のオリジナリティー。
劇場を出て、靖浩とフラン、舞監の白石、照明のPOE君、音響操作のまゆちゃん、何くれとなく手伝ってくれるトモ。
みんなの顔を見て、本当に誇らしく思いました。よく、幕を開けることが出来た、と。
大きな演劇フェスティバルならではの、様々な制約の中、初日を開けるのはどんなに大変だったか! 誇らしい、以外に、今、うまい表現が思いつきません。
そして、御礼を申し上げます。
indiegogoを通じて、「NY公演サポートのお願い」を読んで、この公演の経済的サポートをしてくださった皆様。
Facebookを通じて、わたしに応援の声を送ってくださった皆様。
NYに着いてから、集客や宣伝のために、全面的に協力してくれた黒部エリさん、エリさんは、客席から初日も見届けてくれました。
COO GALLERYの渡辺啓子さん、後藤さん、モリオカさん。
その物心両面のサポートがなければ、昨日のわたしは存在しなかったと思います。こうして書いているだけで、目の奥が熱くなってきます。
うれしかった。ほんとにうれしかった。支えられた。力をもらいました。
心から感謝します。
小さい時から意地っ張りで、人に頼るのが嫌いで、なんでも一人で出来る!と生きてきた石丸さち子が、「助けてください」と言うことを学びました。
「助けてください」と言う時に、どれだけの責任を背負うのかということを学びました。
そして、「助けてください」と言うわたしに、たくさんの人が「助けるよ!」と名乗り出てくださった。
わたしの挑戦にシンパシーをもってくれて、かつ、わたしと一緒に夢を見てくれた。そんな思いが、どれだけこの無謀な挑戦を支えてくれたか!!
まだ時間の余裕がなく、一人一人に御礼できる時間がありません。
この場で、まず、ご報告し、心より御礼を申し上げます。
ありがとう! ありがとう!
そして、最後に。
この場に書くべきか悩んだあげく、
やはり書きます。
毎日書き続けてきたこのFacebook上での進行報告は、限りなく素直に書いてきた文章たちなので、それを曲げる訳にはいきません。
昨日の初日の舞台は、わたしの創りたかった舞台ではありませんでした。
次の公演に向けて、スタッフとは終演後すぐに反省会と直しの打ち合わせを終えました。
俳優たちとは、今日、明日と、さらに稽古の時間を過ごします。
初日を開けるということは、作品が歩き出すということ。作品は、すでに観客に愛されました。それは本当にうれしい。
でも、もっと愛されるための向こう岸に、作品を連れていってやることができるんです。わたしは、最初からそこを目指していました。
19日20日21日と、残す3回公演に向けて、わたしの闘いは続きます。
応援してくださった方々への責任として、わたしは、わたしの夢を完遂します。
いや、そんな固い言葉を使わなくってもかまわない。
作曲家伊藤靖浩とわたしで大事に創り上げてきたこの作品を、二人で夢見たとおり、舞台にのせたい……。それはとても素晴らしいものなので。
引き続き、わたしは頑張ります。

NYの蛍〜NY滞在日記(7/9〜7/16初日)

7/16
仮の宿は、ずっと前から合宿状態。
みんなで寝食をともにしている。
助け合ったり、ぶつかりあったり、いろんなことがあった。
靖浩の寝顔寝姿を見ていると、それは幸せそのもので、起きている時間の苦悩なんて微塵も想像させない。
彼の歌の魅力は、彼が歌う幸福感が、人をも幸福にし心地よくすることろだと思う。
フランは、まだ知り合ったばかりで、きっとわたしはまだ彼女をちゃんと知らない。それでも、あえて言うと。アメリカ人のいいところと日本人のいいところの、絶妙なミックスだと思ってる。子供のまんま大人になったようなところと、小さい時から大人の目を持っていたんじゃないかと思わせる成熟感もある。なんとも、優しくって、なんとも、ダイナミックな女の子。
いずれにせよ、人の寝顔寝姿というものは、その人をこの世に送り出した、お父さんお母さんの存在を、思わせるものだ。
靖浩のご両親は、ずっとずっと山形で応援し、祈り、力を送り続けてくれている。
フランのご両親は、なんと全公演を観劇してくださるらしい。
そして、わたしの両親も、故郷姫路にいて、どれほどわたしの健康と成功と幸せを祈ってくれているか。どれほど、助けてもらったか……。
脳梗塞の進んだ母は、もう、何度も同じことを聞いたり、物忘れが激しいのだけれど、電話するたび、子供がするように、「頑張れ頑張れさち子!頑張れ頑張れさち子!」とエールを繰り返して、父を笑わせている。
パパ、ママ、いよいよだよ。
初日の朝です。

7/16
劇場での時間があまりにも限られているフェスティバル進行。
今日は、それを取り戻すための、稽古場での舞台稽古(?)
稽古場のレールライト6回路を使って、模擬照明キュー確認。
稽古場のスピーカーのフェーダーを使って、劇場のフェーダーのレベルを模し、曲中での細かいレベルチェック、CD二台出しをパソコン上に仮想して、キュー確認。
劇場でやるべきことを、稽古場で仮想して行うという、人生初体験のGP。
いい一日だった。
やれることはすべてやった。
明日は20時開演。
午後からしっかり稽古場で稽古して、劇場に移動。
これから当日パンフ作りとか、チケットの整理とか、演出業以外にもいろいろある。
疲れているのは間違いないんだけれど、何かすごくいいものが躰にみなぎっている。とっても元気。
まだまだ、フェスティバルの本番当日の対応が読み切れてなくて、明日も何が起きるかわからないんだけれど、でも、何とかなる。何とかしてきた。
自分のために。
靖浩とFrancesのために。
NYでわたしの芝居に足を運んでくれる観客のために。
仮の宿に帰り着いたら、一足先にトモが治療院を開設しており。
わたしのスタッフやキャストを元気にしてくれた。
ありがとう、トモ。
さあ、いよいよ明日。
作、作詞、演出、プロデュース、自分のすべてで挑んできたプロジェクトの、たくさんのたくさんの人たちの応援に助けられてこそ動いてきたプロジェクトの、明日が初日です。

7/15
週間NY生活に紹介された記事です。
いろんな媒体に、がんがん紹介して頂いて、なんだかNYに来てはじめて演出家として認められたような気がしています。

543098_409249232528500_612428892_n


7/15
今日という一日に感謝。
4時間半の闘いを終えた。
協力してくれる人たちの支えがなければ、成立しなかった、4時間半。
でも、4時間半は、やはり無理な数字だ。
どんなに段取りよく進めたって、完璧に幕を開ける準備なんてできっこない。
でも、だから明日がある。
明日もまた、この作品に巻き込まれてしまった新しい演劇仲間が、きっと共に歩んでくれる。打ち合わせで、稽古で、劇場を想定して、闘い抜く。
明日を、演出家としてどんな風に生きるか。
そして、観客席を満席にするため、プロデューサーとして、直前まで努力すること。

7/14
もう、何時に終わるかわからない、作業中。
今まで、パソコンの音響ソフトから出していたMとSEを、CDに起こす作業。音響ソフトに頼っていたループとか、トリムとか、アタッカとか、すべて新規に作る作業。
もう、絶賛作業中なんですが、ひとつ、書いておかねば。
昨日、わたしの胃痛のポストを呼んだ黒部エリ様が、稽古場に差し入れを持ってきてくれました。
優しい味付けの、ほうれんそうのおひたし、肉じゃが、雑穀米のおにぎりたくさん。
稽古後、みんなで、もう、貪るようにして食べました。
なんて美味しいだろう!って思ったのでした。
食べ物の力、すごい。
うれしかったなあ。
そして、東京で、「ペリクリーズ」とか、初日を迎えられなかった公演とか、その代わりの「ACCIDENTS」とかで一緒だった徳垣友子嬢が稽古を見にきてくれて、休憩時間に、マッサージをしてくれました。
これもよかった。
自分の痛いところに触ってくれて、痛いことをわかってくれる人がそこにいるだけで、救われるものです。
トモ、ありがとう!
さて、色んな人に助けられてること感謝して、作業に戻ります!!

7/14
昨日、本当に、地の底に落ちたような気分になって眠ったのですが。
今日は。
帰り道、高揚して地下鉄の中で書いています。
明日の舞台稽古を目指しての稽古場通し、初めてわたしの見たかったものが目の前に展開しました。初めて。
作家としても、作詞家としても、演出家としても。
こういう日の演出家の幸せは、経験したことのない人はわからないかもしれないですね。
ずっとずっと孤独に、見たいものだけを追求するんです。
誰も助けてくれないし、誰の助けも必要としていない。
ただただ、孤独に、自分が見たい向こう岸を憧れ続ける作業。
孤独な闘いの中で、わたしは、この強い憧れを、人に託して生きています。
自分一人では、創れないものを創っているんです。
伊藤靖浩、Shino Frances。
この二人の出演者は本当に素晴らしいと、今日の稽古で確信しました。
3人でようやくスタートラインに立って、
あと2日、初日を目指して繊細な稽古時間を過ごそう。
いや、待て!
明日、4時間半の舞台での決戦が待っていた!
今夜は、家に着いたら延々、この決戦のための準備になりそうです。

7/14
初日まで、あと3日になりました。
舞台稽古は、明日。
日本の演劇人は驚くかもしれませんが、本番前に舞台を使えるのは、上演時間×3の時間。つまりわたしたちは90分×3で=4時間半だけなんです。
この中で、照明を創り、音を創り、場当たりし、通し稽古する。
する?
うん?
長いことやってきて、こんなの未体験ゾーンです。
その実態を知るまでに相当なやり取りがあり、その実際を知って、少しでも変えてもらおうとした時期があり、そこからこのフェスティバルの在り方を見つけていって、ここでの闘い方を模索した時期があり。
いよいよ、明日、この4時間半が待っているんです。
明かりづくり好き、場当たり好き、舞台稽古好きの血が燃える!とか、今回は簡単に言えないな……。
でも、ここにOur Showの行方はかかってるからね。やるよ。
空き時間はすべて投入してきたプロモーション作業が実って、いろいろな媒体にわたしたちの公演が取り上げられています。
その中から日本関係のを、ふたつ、ご紹介します。
Japan Culture NYC
(出会いを求めて行った日系人のパーティーで、ジャパンカルチャーの記者と知り合いました。ジャパンカルチャー企画の公演しか掲載は無理と言われていたのですが、大きく紹介して頂くことができました。)
週間NY生活(19ページ "WOMAN"のコーナー)
(NYで頑張る女性を紹介する”WOMAN”のコーナーで、わたしを特集してくださいました。これは黒部エリさんのご紹介のおかげ。感謝!普通は、女性一人のトップ写真になるのですが、お願いして3人の写真にしてもらいました。わたしは今、この人たちと三位一体だもの。)

7/13
今どんな気持ち?
と、またFacebookに聞かれて、
今日はこう答えるしかない。
「あらゆる感情が深く複雑過ぎて、もう書けません。」
歓喜と悲鳴の連続。
これを人に伝えるには一体どうすれば?
でも、このところ、わたしは書き留めたくて仕方ない。
説明できない感情を、
自分の弱さを、
人間の不可思議を。
息苦しく、激しい、
輝きを求めて暗闇を彷徨うような、
こんな時間にいる自分のことを、
思いつくだけ書き留めておいた方がいい気がするのだ。
今日は激しい胃痛との闘いだった。
これが神経性のものだったのか、
単なる単なるよくある胃痛だったのか、
わからない。
わたしの体の中も外も悲鳴だらけなんだもの。
でも。
NYの友達、啓ちゃんの声を聞いたり、
休憩中に山中陽子嬢がコメントを書き込んでくれているのが、
ふと目に飛び込んできたり。
ふとしたことが、思わぬ力や励ましをくれたりする。
弱くなりそうな時に。
精神や品性が、ちょっとさもしくなりそうな時に。
ここのところ、神様のことをよく考える。
誰も知らない苦労や苦痛を味わっている時。
誰にも見られないところで頑張っている時。
誰かに思いが伝わらない時。
愛情だけでは足りないのだと、落胆した時。
「ねえ、せめて神様ぐらいは、ねえ、見ててくれてるんでしょう?」と。
わたしは無信仰な人だけれど、
自分の神様に愛想を尽かされたら、きっともうおしまい。
ペール・ギュントのように、誰も彼もと一緒に溶かされて、新しいボタンに作り変えられる。
あ、そうか、今のわたしは3幕のペール・ギュントかもしれないな。
壮年のペール。
……とすると、運命はわたしは弄び、無一文になり、渇き、孤独に怯え、最後には精神病棟行き?
アメリカの胃薬が効きますように。

7/11
絶望と、希望について考える夜。
ここに来てから、そのどちらもが入れ替わり立ち替わりやってくる。
我がもの顔に、わたしをのっとってしまう。
サガンの言葉を思い出す。
……” 絶望的に希望する”
「愛と同じくらい孤独」か、「私自身のための優しい回想」か、どちらに出てきた言葉だったか? 旅先なので正確に引用できないけれど……
サガンは言う。
もちろん「ロミオとジュリエット」は、結末を知っていて観るのだけれど、わたしは、ロミオとジュリエットが幸せになるようにと、絶望的に希望して観る力がある、と。
わたしは、その力がほしい。いつも、いつも、ほしかった。ずっとほしいと思ってきたから、少し力がついてきたような気もしている。
” 絶望的に希望する”って、おかしな日本語だと思う。
原文はどんな風に言っているのだろう?
でも、わたしは朝吹さんの訳したこの言葉のニュアンスが大好きだ。
生きるために命を揺らしている美しさがある。
強烈にこの言葉を思い出して、噛んで、噛んで、体の中におさめて、今夜は眠る。
明日も、朝が早い。あ、すごく早いな。
わたしは、どこまで行けるだろう。
絶望の力を借りて、希望して。
見える風景は、どんななんだろう?

7/9
「ともだち」って、自分にはあまりいない、と信じ込んでいた気がします。わたし自身が、友達づきあいが悪いせいです。
でも、世界ってのは、わたしなどよりもっともっと優しくって、長らく長らく会っていないのに、ちゃんと「ともだち」でいてくれて、「ともだち」のことを考えて、動いてくれる人がいたりするんですよね……。
大人ですから、とてもクレバーに、とてもスマートに。
と、こんなことを書くのはですね。
わたしが18歳〜19歳の時。シェイクスピアシアターという出口典雄さん主宰の劇団にいた時に、同じ釜の飯を食べて、早稲田の先輩後輩でもあって、研修所卒業公演では、姉妹の役をやっった黒部エリさんが、今はNYで人気コラムニストとして過ごされており。
今回のNY公演が決まった時に、もう30年以上も会っていないというのに、思い切って連絡してみたんです。
そうしたら、もう。
会ってみると、お互い何にも変わっていないように思えるくらい、すぐに同じ釜の飯の感覚に戻って話ができるし。
とにかく、もう、あれやこれや、ものすごい勢いで助けてくれるんです。
唐十郎の戯曲「吸血鬼」ってのに、「お世話の都」って言葉が出てきて、わたし大好きなシーンがあるんですけど、それを思い出すくらい、お世話をしてくれる。そう……。すごく美しい、お世話の都を築いてくれる。
「ともだち」ってこういうものなんだ……と、わたしは感動し、そして、今までの人生をちょっと後悔したり。
わたしは、「ともだち」をこんなに大事にしてきたかな……って。
さて。
そんな最高のともだちの黒部エリさんが、稽古場に取材にきてくれて、別日にわたしへのロングインタビューも行ってくれました。
それが、2回に分けて、彼女の人気ブログに紹介されております。
ずっと言葉ってツールで生きてきた人です。
さすが!!って思う記事でした。
ありがとう、エリ!
何と、前後篇に分かれております。
さて、これが前篇。
そして、これが後篇。(前の記事からご覧くださいませ!!)
わたしが「演技」や「俳優」について語る内容になっています。
何も特別なことは言っておらず、しょっちゅう稽古場でしゃべっていることの一部なのですが、こうして記事になってみると、とても面白い。
わたしが伝えたものを、ちゃんとわかる人が、自分の言葉で書く。
その経過が入るだけで、色んな思いや考え方が、社会化されています。
これも是非お読みください!!!
エリさんのFBウォールで紹介されて、この記事の素晴らしさで「Color of Life」を見たくなったというコメントを頂きました。
エリ様の仕事、素晴らしい!!!

2013年4月28日 (日)

NYで新作ミュージカルを上演します。

招待状を受け取ってから、待つこと一ヶ月。
本日正式発表がなされ、ようやく、特別な新作をご報告できます。


The Midtown International Theatre Festival,
in association with Theatre Polyphonic, Presents

MUSICAL“ Color of Life ”
Written by Sachiko Ishimaru / Composed by Yasuhiro Ito

Venue:The Dorothy Strelsin Theatre, 312 W. 36th Street, 1st floor, NYC
(14th. Annual Midtown International Theater Festival 2013 7.15~8.4)

The Midtown International Theatre Festival(MITF)は、毎夏NYのマンハッタンで開かれる演劇祭です。
審査に通り、石丸さち子作/伊藤靖浩作曲の新作ミュージカルが、NYのオフオフブロードウェイに招かれました。
第14回を数えるこのフェスティバルで、日本初となります。
演出は石丸さち子、出演は伊藤靖浩と、NY在住の女優 Shino Frances。
Shino Francesにより英訳された台本で、英語上演します。
稽古もNY、初日もNY、4回公演の大冒険です。

本日のプレスリリースで、主催者のJohn Chatterton氏は大いに意気込みを語っています。
14回目を迎えて、開催劇場が2カ所から4カ所に増え、参加カンパニーも例年の倍以上。
リンカーンセンターのフェスティバルや、フリンジ、NYMFなど、たくさんのフェスティバルが催されるNYにあって、3本の指に入る演劇祭を目指すと。
そして、今年の参加作品のレベルの高さに、自信があると。
John Chatterton氏は、オフオフブロードウェイをずっと見続けてきたプロデューサーです。
オン・ブロードウェイやオフ・ブロードウェイにはない、手作り、ローテク、人間力のオフオフの力を伝え、支えてきた人です。
今回は、初めて日本人が参加することに、とても期待を寄せてくれています。

詳しいことは、これからまたご報告していきます。
Theatre Polyphonic作品をプロデュースし続けてきたわたしの、最も大きな冒険です。色んな人に力を仰ぎ、助けてもらわなければ超えられそうにない、高い高いハードルです。燃えています。プロデューサーとしても、作家としても、演出家としても。どうぞ応援してください。


MITF フェスティバルサイト 

"Color Of Life" 公演特設サイト

プレスリリース

Mitf144

2013年3月18日 (月)

「テネシーの女たち」舞台写真

こちらから、舞台写真をご覧頂けます。

伊藤由華さんの壁画、山口明子さんの照明による、美しい舞台写真をご覧下さい。

2013年1月16日 (水)

日々。そしてお知らせ。

着々と……着々と? いろんな準備が進んでいる。

3月の私塾公演。
6月のボリス・ヴィアン。
上演時期の決まっていない、新しいミュージカルのパッケージ。
そして、その先、10月、12月。

着々っていうのは嘘で、
もう毎日、もんどりうちながら少しずつ進んでいる。

書けない歌詞にぶちあたった時は、また救ってくれるものと出会った。
それは、思いがけず、スコット&ゼルダ・フィッツジェラルド夫妻の人生を読み直すことだったり。
今夢中になって読み解いている、テネシー・ウィリアムズの人生だったり。
そして手を離れた歌詞は、曲がつくのにも、長い時間を要した。
詞・曲ともに難産だったナンバーが、今夜、さっき、誕生した。
美しい、美しい、1曲になった。

着々と? 
ある時は豹のように駆け抜けているんだけれど、
ある時は、牛の如く。

そんな中で。

今週末、日曜日、20日。
伊藤靖浩さんが、かつてのバンドメンバーでもある名ピアニスト伊賀拓郎さんと、ライブを開くことになりました。
そう、わたしが一昨年末企画したSoloLiveのピアニスト、伊賀さんです。
伊藤さんと伊賀さんのコンビは、もう、わたしにとっては音楽の喜び以外の何ものでもない。
SoloLiveにお越し下さった方も、いらっしゃれなかった方も、是非、お運びください!!

そして、空いている午後の時間帯を使って、
昨年末の年忘れ公演で上演した、伊藤×竹中友紀子コンビのショートミュージカルも再演。
そしておまけに、わたしがやはり一昨年末にIN-Projectで上演した、一人ミュージカル「ありふれた母と娘の話」も、再演します。

これも、是非!!
わたしまで、ご連絡ください!!


以下詳細。

場所:Art Live Space 「Special Colors」 東京都中野区新井5-9-1 アーバンハイム津嶋地下

時間:
★ ショートミュージカル「カーテンの向こう側」+石丸音楽語り「ありふれた母と娘の話」
15:00 open
15:30
1000円+1drink(500円)

★伊藤×伊賀ライブ!!
18:30 open
19:00 1st set
20:00 2nd set
(入れ替えなしで、別のプログラムです)
2500円+1drink(500円)


2012年12月29日 (土)

命の喜ぶ、お客様の感想。

今年の作品は、わたしより世代が上の方からお褒めの言葉を頂くことが多かった。
7月の「三人姉妹」
10月の「EYES」
12月の「ペール・ギュント」と。

私塾のレッスンを受けてくださっている臺史子さんのご主人、臺毅一郎さんが、「ペール・ギュント」に寄せる文章を、Facebookに書いてくださいました。

わたしの描きたかった向こう岸を、お客様がともに眺めてくださっているのは、何よりの喜びです。

何を、どんな風に手渡すか。
そのことに、命賭けです。
受け取ってもらえると、命が喜びます。

以下、引用させて頂きます。

ステージについて、考えることがある。
 
うちの人が出た芝居もあったし、うちの人に誘われて見に行った舞台もたくさんあった。
都度、いろいろなことを感じ、考えさせられもした。
一度味わったが最後、帰ってこられなくなる、芝居や舞台の世界の醍醐味を、垣間見もした。
 
しかし、石丸さち子さんの「ペール・ギュント」を観て、今までになかった興奮を味わった。
それは、油絵的に、どんどん重ねて作り込んでいく世界だった。
大道具的な意味ではなくて。
 
“語り”というのは、ある意味“墨絵”的な表現手法だと思う。
複雑な要素をどんどん排した、ピュアな表現行為だと思う。
“伝える” ということに特化するなら、ことさら立体的であったり、動きをともなったり、視覚的な効果を加えなくても、目的は達しうる。
“行間を読む”ような、センシティブな表現行為があることは理解できるし、好きな領域だ。
しかし、“語り”というのは、録音だと緊張感を維持するのが難儀だし、あるいは、ライブだとセッションになっていくなら面白がれるのだが。
NHKがやった「詩のボクシング」ならば、それは分かる。
だから、日本独特のものと言えると思う、“墨絵”的な世界なのだと思う。
 
それまでの「ペール・ギュント」は。
あまりにも常識的に受けとめていた「ペール・ギュント」の世界観は、グリーグの組曲を聞いてイメージする、あっさりした感じの冒険活劇だった。
学校で教わった「ペール・ギュント」は、「朝」であり「アラビアの踊り」であり、「ソルヴェイグの歌」だったから。
ペールの人間的な魅力や、ドラマツルギーを語る領域に、届くはずもなかったのだ。
 
翻って、石丸さんの「ペール・ギュント」は。
それまでに読んだ、教わった「ペール・ギュント」のストーリーと、何ら変わりはない。
ディテールをどうこう言うならともかく、ほとんどアレンジなどなく展開された。
なのに、ぐいぐい引き込まれたのだ。
登場人物に感情移入するのではなく、傍観者であることをしっかり意識させられながら、強く臨場させられたのだ。
それは何だったのか。
 
石丸さんの、「“ペール・ギュント”はこれがテーマなのよ」「これを舞台表現の心棒のひとつにしたいの」「“ペール・ギュント”も視点を変えると違って見える」という提案は分かりやすい。
そして、「どうしようもない“ペール・ギュント”だって、母親が産んだのよ、母親は愛していたのよ」「最低の“ペール・ギュント”だって、待つ女がいたのよ」という、切ない愛の世界のアピールは、濃いほどに切なさが増す。
 
石丸さんは、“語り”のように、受けとめる側のイマジネーションのコントロールをしよう、というのではなく、受け手がげっぷが出るくらいにぶつけまくり、満艦飾の世界を見せつける。
そうして、「しっかり受けとめろよ」というメッセージとともに、“ゆるぎない愛”というテーマを、濃く表現したかったのだと思う。
油絵的に、どんどん重ねて作り込んでいって。
 
はっきり言って、石丸さんはオペラを演出した方が、のびのび表現できるだろうし、楽なのだと思う。
でも、楽な方を選ばないのも石丸さんという、自己矛盾なのだろうな。
だから、しっかり応援したいと、つくづく感じた。

より以前の記事一覧