この記録映像を見てください。
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
16分ほどです。
この記録映像を見てください。
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
16分ほどです。
この記録映像を見てください。
今、その行動言動が最も気になる同い年。
平田オリザ氏。
演劇という芸術の危うさも、
見知らぬ人々のかわいらしさも醜さも、
金と政治の理不尽、黒さも、
すべて知った上で、行動する人。この文章を書く人。
「新年度にあたって 文化政策をめぐる私の見解 」
同い年だということにうちひしがれつつ、
この人が身を投じている闘いに、
ずっと心を動かしている。
アンナ・ポリトコフスカヤの裁判、その後。
以下、asahi.comからの引用。
【モスクワ=副島英樹】ロシアのプーチン前政権への批判で知られたアンナ・ポリトコフスカヤ記者が06年に殺害された事件で、ロシア最高裁は25日、被告全員を無罪としたモスクワ管区軍事裁判所の判決を取り消し、審理を差し戻した。検察当局が上告していた。ただ、被告の中に事件の首謀者は含まれておらず、当局側が黒幕を解明しないまま「有罪」を勝ち取ることで事件の幕引きを図ることを、遺族側は警戒している。銃撃を手配したという元内務省職員と見張り役とされる男2人の計3人が起訴され、軍事裁判所の審理では陪審団が証拠不十分などとして無罪評決を出した。最高裁は無罪取り消しの理由として、「目撃者証言が検察側によって曲げられた」など被告側弁護士の違法な発言が陪審員の判断に影響を与えた——など手続き上の問題を挙げている。
この事件は、ロシアの言論状況を象徴するものとして国際的に注目されている。同記者の死にはロシアの現体制に責任があると考えている人が多いため、政権側が誰かを有罪にして幕引きを図ろうとしている、との見方も出ている。
遺族とその弁護士は25日、再審理ではなく、捜査自体のやり直しを求める声明を出した。
負けそうになった時、思い出す女性二人。
レニ・リーフェンシュタールとアンナ・ポリトコフスカヤ。
追記
今回の顛末についてのモスクワ新聞の記事
英ガーディアン紙
(チェチェン総合情報annexより。)
今年はじめ、アムネスティ・フィルムフェスティバルで上映されたものの、昼間一回限り。
仕事で行けなかった。
どうしても見たいと思ったのだけれど。
今日、アンナの関連記事を探していて、ノーヴァヤ・ガゼータ紙のウェブサイトで『アンナへの手紙』を、驚いたことに、フルサイズで見られることがわかった。
英語部分にロシア語字幕が出るだけ。
それでもいい。
ようやく見ることができる。
今夜はこの映画とともに。
このところかなり話題になっていた、村上春樹さんのエルサレム賞受賞と、その受賞挨拶。
16日のことだから、もう人の口にあまりのぼらなくなった時期だろう。
が、そこここで、様々に、様々に、人の口は、たくさんの言葉で、批判したり賞賛したり、共感したり異論を呈したりしてきたに違いない。想像するだけで、使い捨てられた言葉に潰されそうな気がしてくる。
わたしも例に漏れず、ネット上で全文和訳を読んだ。共同通信で訳されたもの。
すぐにリンク切れになりそうなので、自分のためにコピペしたPDF。
このスピーチを読んで、何かを語る気にはなれなかった。
誰かと議論をする気にもならなかった。
それより、何か、こう、深い川が足下を流れて、根の生えていない足を水に持っていかれ、強引に時間をさかのぼってしまうような、そんな感覚で、村上春樹さんという作家を読んできた自分の来し方を考えたりした。
***
村上さんは、わたし個人にはとても大事な作家だ。
群像賞をとって「風の歌を聴け」が出版されたのが1979年。
1980年に早稲田の第一文学部に入学したわたしは、演劇専攻の先輩にあたる人のデビュー作が、大学生協の本屋に横積みになっているのに出会う。
それ以来、新作が出るたびにずっと発売まもなく入手して読んできた。
ずいぶん本を読む人生だと思うが、そんな読み方をする作家はほかにはいない。
一人の作家を追ううち、世界にも作家にも、小さな自分にも、色んな変化が起こる。
処女作を夜中の台所で書いた作家は、やがて執筆に専念するために経営していたジャズ喫茶をたたむ。
短篇と長編の合間に、英米文学の翻訳を作家は始める。わたしは村上さんのおかげで、以来敬愛するレイモンド・カーヴァーと出会った。
「ノルウェイの森」を読んだ時、今までとはまったく違うスタンスを感じた。それは実に人口に膾炙しやすく、誤読されやすく、読み捨てられやすかった。売れに売れた。
発売当日に買ったわたしは、読了後すぐ、前後巻を二組買って、友人にプレゼントした。半年後にはベストセラーになっていた。……古本屋に赤と深緑の背表紙をずいぶん見たものだ。
作家は、米国の大学に招聘され渡米。執筆の場はそこから長らく日本を離れることになった。アメリカから、ヨーロッパへ。エッセイを読んでいると、若い頃から引っ越しが多かったことがうかがえたが、日本の文壇に根を生やさず、あえてデラシネ生活のように見えながら、自分という存在の足場には根をしっかりと伸ばしている、浮遊する樹木のような印象を、わたしは持っていた。
彼は、その頃から走り始めていた。ストイックであることと、自由であることを、短篇と長編の行き来のようにバランスよく生きる人だと、わたしは思っていた。
阪神大震災と地下鉄サリン事件を経て、彼の作風が変わる。
作風というより、世界との関わり方が変わる。
作家自身が、それをデタッチメントからコミットメントへの変化と語っている。
「アンダーグラウンド」は、かくして初めてのノンフィクションになった。
その頃、故河合隼雄先生との対談が出版された。
人は何歳になろうが、世界から変化を要求され、痛んだり苦しんだりしながら変化をしなければいけないことがあるのだと、わたしは実感として知る。その変化をナイーブに楽しむ作家と、人の痛みを人生賭けて知ろうとした心理学者と。
各国で翻訳が出版され、売れ、評価される。わたしは作家のフェアがヨーロッパで開かれているのを、不思議な感覚で眺めた。
賞も受ける。そしてエルサレム賞。
そこで彼がとった「受ける」「出向く」という行動も、公になったスピーチも、善と悪だの正と誤だの美だの醜だのといった二元論では、きっと語れない。
複雑極まりない世界があって、
その複雑さの根源たるたくさんの人間とたくさんの人間の複雑があって、
複雑なる一人の作家が選べること。
そこに、衆人が納得する答えなどないに決まっている。
それなのに彼が「出向いた」こと、あえて言葉で「語った」こと。
そのことを深く覚えておきたい。
作家が、あえて、言葉を使って書くのではなく語ったということ。
言葉に対する当たり前な不信感など超えて。
自分の声を使って、母国語ではない言語という不確かな伝達手段で、言葉を音にして、世界に差し出したこと。
***
一人の作家を追うことが、自分の人生にわずかながら、いやわずかならず、反映している。
同時代に生きていて、幸せだと思う作家の一人だ。
これからもずっと、わたしは村上さんの新作を、発売日を待って買うことだろう。
そして、いまだに、自分の根をどこにどう生やせばいいのかと、考え続けるだろう。
2006年10月、暗殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ記者。
彼女の殺害に関与したとして4人が起訴されて、何も解明されずに捜査が終わってしまったのが、昨年6月。
そして、2月20日、被告4人に無罪判決が下り、釈放された。何も解明されないまま。
報道があまりに断片的で、
昨年6月に実行犯とみなされていた人物の存在のことや、
今回釈放されたチェチェン人被告のことや、
同時に釈放された元FSB職員が、
どれだけ事件に関わっていたか、知る由もない。
チェチェン総合情報は、チェチェンとロシアに関して絶えず知らせてくれるとてもありがたいサイトだ。
ここで紹介されているラジオ・リバティの記事も、その断片のひとつ。
たくさんの断片が、まとめてあるページもある。
知ることができる限りを知ろうとしてみるのだが、やはり断片は断片だ。
FSBが関与しているとしたら、解明するわけもないのだろうが……。
アンナが勤めていたノーヴァヤ・ガゼータ紙(Новая газета)のウェブサイトをのぞいたら、やはり特集が組んであった。
昨年12月からの公判の流れを追って伝えてくれている。大学で習ったロシア語はもう記憶の外。翻訳ツールの助けを借りて読んでみるが、裁判が開かれたことに意味があったのかさえ疑いたくなってくる。
わたしが知っても何も意味のないことだとわかっていながら、知ろうとすることをやめられない。
真実が明らかになり、悪しきが罰されることなどないとわかっていながら、そうあって欲しいと願うことをやめられない。
はじめてモスクワを訪れた時に、劇場占拠事件が起き、そこで解決の糸口になろうとしていたアンナを、後々に知った。
あの国で、あの国情で、チェチェンの現実を報道しようとする行動力と勇気に驚いた。
ベスランに向かう飛行機で毒を盛られるに至っては、遠くで行動する女性の命が、心配でならなかった。
著書を読んでは、「言論の自由」などといった言葉が通用しない国での激しい言論言質に驚き、アンナの身の安全は大丈夫なのかと不安になった。
かの国より安全な国にいて、リスペクトする女性の行動を、報道で追っているだけのわたしが、心配でならなかったというのに、彼女は、一体どれだけの危機感と不安を乗り越えて、報道し続けたのか?
そんな勇気、本当にありうるのか?
……考えるたびに、本当の強さが喪われたことが、痛ましくなる。
彼女とて、完璧な人間であったわけではないだろう。
何かを取るということは、何かを捨てることであるから、
一人の人間が、どんな他者にとっても完璧であることはないとわたしは考える。
でも、正しきを伝えようとする美しさは、悪しきを見逃すまいとする強さは、決してこの世の中から抹殺などされてはならない。決して。
彼女の強靱な魂が、肉体は滅びても、かの国の未来に生きることを願う。
わたしは、自分のこのちっぽけな人生を生きる途上で、何度も彼女のことを思わずにいられない。
以下、自分のための埋め込み。
レンテレビのドキュメンタリー。
昨年10月7日暗殺された、アンナ・ポリトコフスカヤ氏の遺作が刊行された。
2002年10月、ノルドオスト上演中の劇場が占拠された時、わたしはモスクワにいた。劇場に足を運び、芝居を観るためだった。占拠事件の起きた日、わたしはすぐ近くのタガンカ劇場で芝居を観ていた。
12日間の滞在予定の2日目に、この事件が起き、わたしの観劇旅行は劇場占拠事件を目の当たりにする旅になった。
現地にいると、規制された報道の向こうに、多くの矛盾と虚偽が隠れているのは明らかに思えた。
帰国してから、わたしはチチェンとロシアについて調べ始めた。
そして、チチェンの過去現在は、わたしが世界の不幸を思い考える時の、扉になり窓になった。
その扉の向こうに、アンナ・ポリトコフスカヤ氏はいた。
わたしの人生では持ちえない、「勇気」をその身にたたえたジャーナリストは、チチェンとロシアを巡るいくつもの不正に、その身とペンだけで戦いを挑んでいた。
彼女の既刊で、わたしは劇場占拠事件の真実の多くを知ることになった。
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不正に対し、黙する人は多い。そして多数の黙する人間の力は巨大だ。
黙さないで、一人で語り続け書き続けるその力を、微かなものと見るか、巨きなものと見るか。
答えは、彼女を暗殺した者、暗殺させた者たちが知っている。
今はただ、読み進めよう。彼女の怒りと嘆き、その戦いの軌跡を。